安全だと言われても帰れないということ

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1ヶ月ほど前に福島へはじめて行った。
除染したてのつい最近まで立ち入り禁止区域だった場所で、遠目ではあったけれど、自分の目ではじめて原子力発電所を見た。

 

被災者の方のお話も聞いた。「安全だと言われても帰れない」と。

 

20年前、神戸で震災が起きて、家や親戚や友人や、見慣れた日常の景色が被害にあった。幸い生き延びた私たちは、20年たって変化したことはたくさんあるけれど、それでもそこで日常を営んでいる。それまで雲仙や三宅島のニュースをみて、「どうして危ない場所に帰りたいんだろう。どうして危ない場所に住みたいんだろう」と思っていた。田畑や守るべき土地があるからなのかと思っていた。けれど違った。違うんだってことを自分が自分の家族が、震災に合ってわかった。

 

福島の方々は「帰れない」。守るべき田畑もあるのに。

 

村上春樹氏の記事から:
〈ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。〉

 

先日、別の機会に、関西に避難されている福島の方と飲む機会があった。「どうしてほしいのか」との質問に、「ちゃんと謝ってほしい。それでどうなるわけではないけど、そこからしか何も始められないから」という言葉を思い出した。